働く会社がなければ、自分ではじめるしかない。地元出身とはいえ、特別な人脈があるわけでもない。設備投資が限りなくゼロで元手をかけずにはじめられる仕事といったら、専門家には英語を教える塾くらいしか思いつかなかった。おもしろいことに、専門家が「郷里に帰って、英語塾をはじめる」といったとき、「二十二、三の若造に何ができるものか、無理だろ」と反対したのは日本人スタッフだった。ネイティブの連中は逆に「がんばれよ」と応援してくれた。それだけではなく、餞別がわりに彼らはランゲージ・ラボラトリー専用のテープレコーダーや語学テープを持ってきてくれた。英語学校専用の特注品だった。最初は反対した日本人スタッフも、使わなくなった英語テープを段ボール箱一杯ほども譲ってくれた。このあたりは、専門家の人柄がものをいったのだろう。専門家はトラックを借り、その機械やテープを積み込んで、自分で運転して郷里に持ち帰った。